「京都記録」より 〜ある日の京の雑多なる記録〜 March 2004 |
Photo by africanwhale |
3月21日(日) 京都入り。小春日和のなか、観光客も京都人も、我先にと古都に繰り出さんとする。人出は多目。混雑の中、何度も足を運んでいる京都への無意識の慣れのせいか、ガイドブックはもちろん地図らしきものを持っていなかったため、少々行き場を見失い、人の波を抜けて目に付いた本屋へと足を踏み入れた。ひときわ写真の美しい雑誌を思わず手に取り、開いてみると、なんとも魅力的な町家住まいであるとか、町家を利用したレトロな空気あふれるカフェであるとか、桜が満開の古い寺などの写真に魅入り、荷物になるのを覚悟の上で一冊購入してしまった。 ふと、少し遅い昼食をとりながらページを繰っていると、「弘法さん」「天神さん」と呼ばれる縁日市という記事が、わくわくさせるような蚤の市のような出店の様子を写した写真がたくさん添えられてなんともいえず魅惑するので、よくよく見てみると、たいへん都合のいいことに、本日21日というのは月に一度の「弘法さん」の日であった。 さて、雲の切れ目から日差しも覗く小春日和の今日、案の定お客は多い。なんだか懐かしい空気の漂う駅から当時のお堀沿いを人の波に乗りながら歩いていると、だんだんと京都気分が盛り上がっていく。 客層は、いわゆる中年層か、少々年配が多かった。そして、思った以上の賑わいであった東寺を、満員電車の通勤客さながら練り歩いた。 軒を連ねる店で何がいちばんポピュラーであったかというと、やはり京都という土地柄か、古着物や古衣などの安売りだろう。山積みになった色とりどりの古典柄をすぎれば、ふと衣のにおいが鼻につき、昔かいだ母の衣装箪笥のにおいを髣髴とさせる。 そして、ついで多かったのはありとあらゆる種類の骨董屋であろう。いったいどこからそんなにたくさんのガラクタまがいのものを持ち出してくるのか不思議になるくらい、その品揃えは実にバリエーションに富んでいる。夕方であったので、そろそろ店じまいを、という出店も多かったが、それでも賑わいはかなりの活気に満ち溢れており、熱心な客があちこちに人だかりをつくっていた。
印象的な店のささやかなる記録: ・ 昭和初期ごろのものと思われる、家庭用品。たとえば小物入れ、筆入れなど机周り、それから古いガラスケースや抽斗、果てはかみそりやめがねに至るまで、ガラクタまがいのものをそろえた店 ・ 古い小判などのほかに、外国のコインを売る店がある。奇妙な感じだ。コインをコインで買うのだ。 ・ はぎれ屋。着物から何から、あらゆる類の布がそろう。箪笥くさい。 ・ アジア雑貨屋。 ・ 陶器屋。格安の値段で皿や茶碗などを売る。素焼きのもの、どこかの高級そうなものから、みるからに安っぽいものまでさまざま。なかには、若い男性三名で手作り陶器を売る店もあって好感が持てた。写真をとればよかったと大後悔。雰囲気が良かった。色合いも淡くてきれいなものが多く、若い人に受けがいいだろう。花模様をちらしたもの、筆で小さくウサギを描いたもの。果ては、子ども受けを狙ったのか、自動車の絵などをつけているものもあったが、実にほほえましい。陶器は重たくて購入できないのが残念。 ・ 麻布屋。麻の布だけ売るとは、なんと潔くうつくしいことか。あのオフホワイトは永遠にさっぱりとしていて、それだけで心から愛することができる。男もこうだったらいいのにと思う。 ・ トンボ玉屋。大粒の円筒形のガラス玉に、どのようにして色をつけるのか、実に繊細な模様と色合いが筆付けされている。非常に美しく、透明感があり、またふたつとして同じものはないので、おもわずじっと魅入ってしまう。どのようにしてつくるのだろう。こちらも写真をとって質問しなかったことに後悔。これではエッセイストもちょっと厳しい。がんばろう。トンボ玉は実に高級品で、まさに芸術品であった。ひと玉四千円から数万円と、とても現在のわたしでは遊びで手が出る金額ではない。じっくり観て、堪能させていただくにとどまった。深い青のグラデーションに、細い線できれいな模様が色付けされているのを見るのはたまらない。 ・ 安いトンボ玉屋。こちらは、小ぶりのものを一個百円から売っている。うつくしいものをみてしまったあとだったので、ちょっとこころをうごかされない。絵付けも雑だが、色とりどりのトンボ玉はたくさんならべておくとやはりうつくしい。三つほどつなげてアジアンノットのストラップ状としてうっているものもある。三百円。美しい模様もあるが、ハートだのスマイルマークだのはやめてほしいのだが。 ・ ひょうたんの親指ピアノと椰子のものもあり。アフリカ系だか何なのだかよくわからない布と、ひょうたんをくりぬいて色ガラスをはめ、内側からライトアップできるようなものを作って売っている人がある。訊くと、彼もミュージシャン。三十代くらいの男性。CDなどもあるという。ライブなどもされるという。親指ピアノにも、ちゃんと音階がある。右、左、右とあがっていく。でも、あそこまで完成度の高い親指ピアノは、やはり彼のオリジナルなのではないかと思ってしまったりもする。商売には、あまり熱心ではなさそうだ。だが、ひょうたんの親指ピアノは、それはそれでうつくしいかたちをしていた。 |