線香の独特なにおいが入り混じった寺の静寂の中で、柔らかな音色が人々を魅了する。親指ピアノのつむぎだす旋律が、なぜか彼らを懐かしい気持ちにさせる。穏やかな表情をして音楽に魂を込めているのが、レジナルド・チウンディザ氏。南部アフリカにあるジンバブエ共和国出身の若きミュージシャンである。2004年3月24日、京都・安楽寺において、静かにコンサートが開かれていた。

 彼が演奏している親指ピアノと呼ばれる楽器は、二十センチ四方ほどの板に、細長く平たい金属片をオルゴールのようにとりつけたものである。親指と人差し指で交互に弾いて演奏する楽器で、ジンバブエではムビラという名で伝統的な楽器のひとつとして人々に大切にされている。シンプルな楽器だが、共鳴箱として椰子の実やカラバシュと呼ばれる器型の瓢箪をとりつける場合もあり、その複雑な指先の動きが空気を震わせてはじき出す独特な響きを増幅させる。アフリカ大陸における多く地域において、在来の楽器は、単なる芸術としてだけでなく、社会的・儀礼的な意味を持つ。成人式や結婚式など地域の重要な祭事の際に演奏され、また先祖の魂を呼び出すという役割も担う。親指ピアノと総称されるものは、各地でそれぞれ微妙に異なる形状をしており、それぞれ「カリンバ」や「リケンベ」「サンザ」などと呼ばれている。近年では、共鳴箱のかわりに、ファイバーグラスの器を使用したり、その外側に持ち主の好きな銘柄のビールの王冠を取り付けて、ジージーという共鳴音を加えるアレンジをしたりすることもある。

 ムビラ奏者であるレジナルド・テンダイ・チウンディザは、1974年ジンバブエに五人兄弟の長男として生まれた。父はマラウィ出身、母はジンバブエ出身。弟が二人と妹が二人いる。両親とは死別し、幼い兄弟の面倒を見てきた。現在は、伝統楽器のムビラ演奏をしながら、ダンス、彫刻、演劇など幅広い分野で活躍し、生計を立てている。

 2002年の秋、レジナルドの人生は大きな変化を迎えることになる。I型糖尿病を発症したのである。糖尿病は、生活習慣病の代表的なものとして、その食生活に起因する発病事例が多くある中で、一方体質的なもの、あるいは遺伝的な理由により、肝臓が機能しなくなって発症する例もある。レジナルドの場合は、明らかに後者の理由による発病であった。

 南部アフリカ地域にあるジンバブエ共和国は、1980年の少数白人支配からの独立後、都市こそ発展していったものの、未だに土地問題を中心にして政治的な課題を多く残している。国民の多くは農民で、農村において質素な暮らしをしている。そのようなところでも、糖尿病という病気は存在する。あらゆる病気について同様なように、糖尿病についても誤解と偏見は多い。遺伝性の糖尿病があること、そしてインシュリンの注射を継続的にしていけば回復するということを、第三者のみでなく患者自身知らないことが多い。ジンバブエにおいても、同様である。そしてまたジンバブエでは、インシュリン注射の治療も費用がかかるため、満足に受けられずに亡くなっていく糖尿病患者も決して少なくはない。

 レジナルドがジンバブエで出会った大学助手の平尾氏は、アフリカ文学研究者であり、またバンド活動もしていた。そんな平尾氏のジンバブエ滞在中、現地で彼と親しくなったレジナルドは、平尾氏のジンバブエにおける滞在を手伝い親交を深めていた。帰国後、レジナルドは一時音信不通となってしまう。その後の付き合いをあきらめかけていた彼に、ある日レジナルドから手紙が届くのである。レジナルドは糖尿病を患っていたのである。しばらく連絡が取れなくなってしまっていたレジナルドが、実は糖尿病にかかっていたことを知ることとなり、平尾氏はこれを自分に課せられた使命だと確信する。平尾氏の父は、日本では糖尿病の専門医だったのである。そして、レジナルドを日本へ招待する計画はたてられた。

ジンバブエの糖尿病患者の状況について訴えると同時に、日本の糖尿病患者会とのネットワークを作り、将来的には、レジナルド自身が新生させたジンバブエ糖尿病協会への資金援助などを受け入れて、ジンバブエの患者たちにインシュリンを提供できるようなシステム作りをしていきたい。一人でも多くの患者を助け、そして人々に糖尿病のことを知ってもらいたい。2004年3月、ジンバブエの音楽の紹介を兼ねレジナルドは、自分自身が作曲した曲や、古い曲に歌詞をつけたりした音楽を、ムビラのやわらかい音色と彼自身の優しい声とともに日本の人々の前で演奏をした。短い講演会も行い、糖尿病患者会との親交も深めた。

レジナルドの曲は、そのほとんどが自分の体験してきたものや、実際に目で見てきたものをもとに作られている。亡くなってしまった父や母のこと、妹たちのこと、糖尿病という病気をもっていても、これほどまでに元気で活動的に生きていくことができるのだということ、ストリートチルドレンのこと。心の美しい彼の言葉は、すべてジンバブエで多く使われているショナ語で歌われているにもかかわらず、国境を越え、海を越えて島国日本にやってきて、京都の静かな寺で人々の心をやさしく包む。南部アフリカ地域でポピュラーな南アフリカ産のカッスル・ビールの王冠をぐるりと縁にとりつけたオリジナルのムビラで、レジナルドは演奏する。

彼は、まさに敬虔なクリスチャンという言葉がしっくりくる、とても信心深い人間だ。糖尿病で苦しんだりしているにもかかわらず、それを神が自らに課した使命として厳粛に受け止め、この世に生きている糖尿病患者のために役立つことをしようとしている。人と人が出会い、日本に導かれ、糖尿病協会を設立して新たな一歩を進めようとしていることも、すべて神のお導きなのだ。まっすぐな瞳をしたレジナルドは、微塵の嫌味もなく神の名を口にする。そして、日本の寺の静謐さと厳かさも、穏やかな心は素直に受け入れることができる。神聖な場所は、どの宗教であれ心地よい安心感がもたらされると彼は言う。

小さな男の子

自分がどこにいても

何をしていても

神さまはみている

今やっていることは

きっと 良い結果へとみちびかれる

だからどうか

神さま

自分のなすべきことがこの世で終わるまで

どうぞ

天に召さないでください

 レジナルドは、糖尿病の専門医である平尾氏の父のもとで、インシュリンを摂取するために使用する携帯用の注射器や、血糖値を正確に測る機器などの使い方を教わった。生来、多才で飲み込みの早い彼は、実に効率よくそれらの知識を頭に入れ、ものにしていった。機器のうちいくつかは平尾氏の父から貰い受け、ジンバブエに持ち帰って糖尿病患者のために役立てるという。将来的には、これらの機器の入手ルートを確立させ、提供できる患者を増やしていきたいという。

 勘の良い彼である。自分の体調の加減から、自分の血糖値を推測し、機会で測定する前に正確な数字を言い当てることもできてしまう。眠っているあいだに見る夢が、予知夢になることもあるという。父や母の死を予感したり、平尾氏の職場で起きている問題について、それを知る由もないのに夢にみたりすることもあるという。だが、持ち前の明るさからか、悪い夢を信じようとしない。すべては受け止め方次第。そうして、まわりで人々が話している日本語からその意味を推測し、明るく冗談に付き合う。

 京都、安楽寺。遠い異国の大地からやってきたその魂の音楽は、早春の京都の緩んだ空気と絡み合い、この国の人々に届けられる。桜のつぼみが、いまにもほころびそうであった。

2004年3月
レジナルド、安楽寺コンサート後のひととき。

Reginald Tendai Chiundiza, after Anraku-ji concert
March 2004
Photo by africanwhale
京都・安楽寺。

Anraku-ji temple
March 2004
Photo by africanwhale
ムビラ。

Mbira
March 2004
Photo by africanwhale

レジナルド。安楽寺コンサート。

Anraku-ji concert
March 2004
Photo by africanwhale





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